30巻を読み返しています。
31巻は言うまでもないけど、こっちもすごい。
いろんな人の話に次々と決着がついていく分、揺さぶられ感は30巻の方が強いかも。
鯉登パパは、本誌で見ている時はあまり、あのまま逝ってしまうという感覚がありませんでした。
何を思いながら、艦と運命を共にしたんだろう。
何も言い訳せず、息子の、恐らくは武運だけを祈るパパに、その高潔なお人柄が伝わってくる気がします。
一方でリアタイの時は、砲撃の煽りで力無く倒れ込んだキラウシがどうなっているのか、次の号が来るまで心配で心配で、たまらなかった。
たまたま手稲のバッタ塚に遊びに行っていて(普通遊びに行くとこではないが)、何とは無しにキラウシの無事を祈った。
生きてて、心底ホッとしたんだよねえ。
世界は俺を正しいと言っている。
あのドヤ顔とセリフを見て私は、尾形くんが本当に欲しているのは愛とかじゃなくって、「自分の考えていることが正しいと」「認められる」ことなんだ、と思うようになりました。
あの時ネット上では、尾形すっかり調子こいちゃってとか、厨二病とか、見てるほうが恥ずいとか、ヒドイ事を書き込んでる人も、一杯居ました。
だけど見方を、それこそが尾形の本心なんだっていう切り口に持っていくと、調子こいてると切り捨てるのは可哀想って言うか、少々乱暴な解釈にも思えます。
「愛されたい」じゃなく、「自分を理解してほしい」という仮定の元で考え始めた時、勇作さんの愛をぶっちぎってしまった後悔でもなく、自己中な考えで人を次々殺めたことでもなく、ひたすら「あんなに頑張ったのに、テスト0点って宣告されたこと」にショックを受けてるんじゃないかと、思うようになりました。
・・それもどうかと言えば、ホントどうかなんですけれど(汗)
だけど尾形には、こうまでなってしまうまでに彼を肯定してくれる何か、「そう言う考え方もアリだよね」「尾形は0点じゃないよ」って言ってくれる何かが、必要だったんだと思ったんです。
なんか長くなりそうだ(汗)
一旦失礼致します(汗)