自作で遊ぶと、改めて内容を振り返ったり、これってそういう事じゃん!って自分で気付いたりする事がある(汗)。
原作ゴールデンカムイには、私は菊田さん以外に思い入れているキャラはいない。
その菊田さんだって、相当本筋から離れた愛で方をしているかも知れないんですが(汗)。
こう言っちゃあアレだが、みんな自分の事しか考えてないからな…いや、そうじゃなくって(汗)
それぞれの「考え方」をハッキリと外に出す人が次から次へと出てくるから、お話がこんなに面白いんだと思う。
「こんな奴いねーよ」と最初思っても、読み終わると「そういう考えもあるよね」と納得せざるを得なくなる。
野田先生の複雑な人間考察がキャラに深い人間味を与える。
しかし複雑すぎて読者も付いてこれず、それで完結後の名場面集みたいな企画が必要だったのかなと思う。
アレは野田先生が、細かすぎて伝わらない何かを説明したくてやったことだと妄想している(汗)。
アシㇼパさんが不殺を破った時の杉元の表情は読む人に寄って印象がバラバラで、だけど真実は野田先生の心の中にある一つだけだ。
単行本で、杉元のモノローグが追加され、一応事態は収束している。
野田先生は絵描きさんだから、絵だけでそれを伝え切れなかったと思って、悔しく感じてるのじゃないか、なんて思ったりもする(汗)。
いや、私の尺度で勝手な事言ってますが、自分が絵を描く立場だったらそうだろうなあって(汗)。
尾形は、愛が欲しかったんだろうか。正直、なんか違和感は残る。
尾形が拘ったのは「愛」ってか「平等に扱って欲しい」だった気もする。
親の愛なんて知らなくても平気な人だっている。
勇作さんと常に自分を比べ、あそこが違うからこう、ここが違うからああ、と、違いの理由を探すのは、同じだったら同じだった筈という仮定に基づいてないか。
鴨を撃ち続けたのも、母として子供としての愛より、父と自分を同等に扱わせる為だったのではないのか。
結果、相対的に愛が欲しいみたいになってるけど、不平等おかしくない?と尾形は、自覚もなく怒っていたんじゃないかと思う時もある。
どこで話しても絶対、賛同されない(汗)。
宇佐美が尾形を徹底的に怒らせた、お母さんを侮蔑する言葉。
其の後の行動はお母さんへの愛ゆえではあるだろう。
それと同時に、宇佐美の差別的な、まるで自分は高貴な出だとでも言いたいような、自覚なき選民思想も私は気になっている。
宇佐美自身の色々わきまえてございます、僕は何もかも分かっているんです、という考え方は、見ようによれば強烈なマウンティング体質だ。
尾形が平等を愛しているなら、そういうトコにカッチン来てる可能性もある。
これも多分、どこで話しても賛同されない(汗)。
様々な可能性を探り、二次創作のキャラ作りをしたなあ…と思い出したりします。
考える時間があるって、幸せですよね(汗)。