310話から2年。
あの時、ああ本当に物語は終わるんだなあ、と思いましたね。
尾形は罪悪感に苛まれて苦しむ、っていうんじゃなく「今まで自分を苦しめてきた、これが罪悪感っていうものなのか?」っていう、そっちから来た感覚の中で、命を散らしていった。
気付いて…良かったとは、アタシはちょっと言い切れないな。
可哀想の上塗りになった気はする。
ただ罪悪感に気付いたってことは、愛っていう感覚も分かったってことなのかもしれないもんな…
そこをどう捉えるかは、読者それぞれですよね。
その後生きていられたとしても、気付いたまま生きることになるなら、なおさら辛い。
ただアレは自殺ではなく、もう何も見たくないと思って取った彼の行動が、ああいう結果に繋がってしまっただけという「事故死」だと、私は捉えています。
前にもどっかでこんな話をさせてもらった気が(汗)。
毎年、こんな話するのかもしれない(汗)。
309話だけど杉元の、アシㇼパさんが矢を放った時の複雑な表情も、見る人見る人で解釈が違ってすごかった。
面白かったって言うとアレなんですけど、色んな感じ方があるんだなあと思って、興味深かった。
アタシは少数派なのかもしれないけど、アシㇼパさんの決意を喜んだんじゃなく、その決意を理解できた「自分」を喜んだんだと思っているんです。
彼女とともに歩くことを、彼女から許可されていること。
それを受け入れる事が出来たっていうことは、彼女の相棒としての「自分の価値」を、認めたことになる。
それを理解できた自分への、祝福の表情なのかもしれない。
尾形も杉元も、自分の心が何を求めているのか、究極まで気付かない人たちだったと思います。
優しい男の子って、割とそうなんだよね…(汗)
杉元には、「好きな自分でいること」「好きな自分がありのままでいられる故郷」が必要だった。
単なる「故郷」じゃなく、「自分を愛せる事」と「自分で納得してる自分を受け止めてくれる場所」は、セットじゃなくちゃならないと思う。
尾形に必要なものって何だったんだろう。
愛?
もう、更に少数派覚悟で書いて行きます。
これ、「あなたは正しい」って言ってもらうこと、だったように思っているんです。
誰も何が正しいって事を教えてくれないし、したことを褒めてもくれない。
だから謎の自分理論を自分で正当化していくしかない。
正しいって中々実証できないから、また新たな謎理論を思いつく。
頭のいい人は、これだから困るんですよね(汗)。
百ちゃんが欲してるのは、単純に母の愛って感じとも、ちょっと違う気がします。
ママから
「鴨撃つの上手だね」
「百ちゃんが捕まえた鴨は美味しいね」
こんな一言だけで、百ちゃんって生きていける子のような、そんな気もするんです。
自分を、認めてほしかったって事かな、とか…
尾形の謎理論が、人を人とも思わず、自分本位なとこがあったのは否定できないです。
人として正しかったかどうかって言われると、ちょっと、その…難しいとこが、実際ありました。
それが幼さゆえか、基本的な性格か、後天的な傷によるかは何とも言えないとこです。
尾形は、自分が間違っていないと思ってる内は、罪悪感なんて無いんですよね。
なので、罪悪感が生まれたなら、それは自分で自分が「間違っていた」と認める事と、イコールなんだと思うんです。
勇作さんが「祝福された子です」と囁くのは、「兄様は間違っていました」と宣告することでもあります。
勇作さんは尾形の妄想ですから、あのシーンは自分で自分は正しくなかったって認めた、って事を表していると思います。
上記のように考えてくと、サブタイは「祝福」ですが、あの言葉は尾形への、最大級の呪いなんですよね。
自らの過ちを、他ならぬ勇作さん(それが、自分の本心なんですけど)に指摘されたら、尾形はもう生きてはいられないと思います。
今生きながらえたとしても、いつか本当に、自ら命を絶ってしまうような気がします。
もしかして過去ブログとかで、全然違う事つぶやいてたらごめんなさい(汗)。
今日のは、2年かけて揉んだ、だいぶ自分の言いたいことに近いところです。
それを自作にどう落とし込んだか、突然喋り出す日が来ると思います(汗)。
どうかその時は、生温かくお見守りいただけると嬉しいです(汗)