裏ブログの方で門倉さんの話に触れたせいか、今日は何となくそんなお話がしたい気分です。
歴史全くダメなアタシが、ちょっとウロで話してるとこもあるかもです。
変なとこあったらすみません。
札幌には、年代によって色々ですが、本州から来た人々によって古くに拓かれた地域が、いくつかあります。
白石区の前身は、宮城県白石市から来たお侍さんが興した村でした。
つまり屯田兵とかではないです。
戊辰戦争で旧幕府側についていて、減封?っていうの?とにかく困窮、そして新天地を求めて北海道までやってきた士族になります。
中心になったのは、白石城当主の片倉家に仕えていた方々だったそうでした。
誰の命でもなくそこに住み着くような形で、開墾はスゴい勢いで進んだと聞いています。
白石村とは、そんな彼らの功績が認められ「その命名することを許されて」付いた名前なんですよ、っていうような展開だったと思います。
私が幼き頃暮らした札幌市白石区で、郷土の歴史として習った…はずの、お話です。
アタシはゴールデンカムイを読み進めながら、心密かにこの片倉家と門倉さんを、無意識に結びつけて読んでた気がします。
門倉さんのお父さんの代が、開墾に携わってたことになるんだろうか(オイ決めつけるな自分(汗))。
ちょっとちゃんと確認しないでアレですけど、そんな妄想でも楽しんでいます。
楽しみついでにちょっと前、そっと白石市と、白石城へ視察に行きました(ウソです観光です)。
蔵王連峰を望む景観に、お城とその城下町が広がっていたのでしょう。
旧家や史跡の見学路が、整備されていました(方向音痴にゃ難しかったですが(汗))。
見学した旧家は品良く、簡素な佇まいです。
トシミチ少年はこんなお家で暮らしながら、父上が土方さんとともに戦に身を投じてゆく姿を、見ていたんだろうか。
札幌にいると、札幌に来た後の事しか分かんないんですよね。
だけど白石市を訪れて資料館とか行って、色々学べて面白かったです。
白石区の基礎を作った人たちの、そこに至る周辺事情を繋げて考えると、へーーーって思うことも、いっぱいあったんですよね。
多分白石市にお住いの方も、彼らが北海道でこんなに頑張った事を、知らないんじゃないかと思うんです。
それでどうしろこうしろってんじゃないんですが、勿体ない話のような気がします。
今、北海道?札幌?では、私が幼い頃に比べてアイヌ文化への教育を、格段に力入れてると耳にしました。
それも、ホントに大事には違いないです。
ただ一方で、私達が今不自由なく暮らす札幌の街を実際に拓いた、実働部隊へ感謝する機会が、中々少なくなってる気もします。
そっちもまた、勿体ない話のような気もするんですが…
そういうのを学ぶ事が差別に繋がったりとか、何かマズイ事でも、あるんでしょうかね。