突然なんですが、いろんな掲示板でたまに、アシリパさんが尾形を射ったあの時の表情の考察で盛り上がる様子を見かける。
雑誌掲載時は本当に謎が多く、けど単行本で杉元のモノローグが加筆され、以下の考えに思い至りました。
切々と考察していたら、変に長い文章になってしまった。
絡みにくそうなので、やっぱしここでそっと成仏させる・・言えそうな時が来たら、どこかで垂れ流そう・・
杉元の「彼女が自分の命を守るために共に地獄に堕ちてくれる覚悟なんだと分かるまで相棒扱いしきれてなかった」っていう感じのセリフは、雑誌掲載時には無くて加筆されましたよね。
それで、尾形に矢を放ったアシリパさんを見つめた杉元の表情は、彼女が自分を本当の相棒だと思ってくれていることが分かった、その時の表情なんだなあ、と思いました。
彼女の不殺の決意を守りたいと思ったのも勿論杉元の本心ですが、その不殺の決意を彼女が破るまで、彼女を相棒と認められなかった事になります。
つまり、自分が彼女を守り通せば、杉元はアシリパさんを真の相棒としていつまでも信用しきれない、という矛盾めいた気持ちを孕んでいたとも言えます。
小樽で杉元は、一人でコタンを抜け出した後アシリパさんに助けられて、相棒として信用していないことを責められていました。
杉元がこの時、守れる男でなかった事を自分でどう思ったかまでは分かりません。
ですが、沢山の修羅場を共にくぐり抜ける間に、アシリパさんが自分を信用し、そして彼女自身が自分から信用してほしい、真の、契約上じゃない相棒として認めてほしいと思ってんじゃないかと、心優しい杉元が感じない筈無いと私は考えています。
大団円で杉元は、「頑張った今の自分が割と好き」と言っていますので、それまで杉元は自分のことが、少なくとも好きじゃなかったことが分かります。
もしかしたらですが、彼女の純粋な気持ちを受け止めるのが怖くて、不殺を守り通させそうとした可能性すらあります。それは、そんな「自分で好きじゃない自分」を、アシリパさんにお薦めなんかできないからです。
だけどアシリパさんにとってはそういう問題関係なくて、自分を真の相棒と思ってくれている事に、ここまでしてもらってようやく気付いて素直に受け入れられた、自分への安堵があの表情だったような気もするんです。
ゴールデンカムイは金塊争奪戦という一つの事件を通した群像劇で、そこに関わった人たちの思いがそれぞれ深く描きこまれています。
その中で、杉元とアシリパさんの、恋愛感情でもなく、そして最後は契約も何も要らない「相棒」になっていく物語は屋台骨ですよね。
杉元がコタンに3年も暮らしてまだ軍服を着ているのにも、過去の自分をひっくるめて受けれられている安心がそうさせているのかなっなんて、思ったりもします。
・・・以上がひとまとめなんだけど・・・
だけど、正直3年もコタンで暮らして、アイヌの服も着ない男が周りから信用されているだろうか。
アシリパさんがいるから暮らしているけれど、それを反感を持ってみるコタン民もいるんじゃないかと思う。
男手は便利だから排除はされないだろうけど、コタン全てが「相棒の街」ではない。
大丈夫かな、と心配になる。