尾形推しでもないのに、こんなに考わささる・・というのは、私だけではないはず(爆)
罪悪感の芽生は、人間の成長の証という考え方もある。
自分は欠けた人間だからこういうことやってもいいのだ、と、そこを免罪符に生きてきた尾形にも、ひた隠しにした良心の呵責と湧き上がる罪悪感に押しつぶされた末の発作的なアレということか。
母親殺しの罪は、「父から母への愛を確かめるため」というおかしな「道理」に接続され、自分を正当化しています。自分に罪は無いから、罪悪感を持つ必要も無い。
だけどそもそもの出所は、お母さんを愛してたからですよね。
そのお母さんを満たすのは自分にはできないから、お母さんの欲するものを満たしてあげようとした。その方法は幼くて独特で、結局のところ尾形の原点にも見える。
さっき103話を読み直す。
父からの「出来損ないの倅、呪われろ」という言葉は、尾形にとって焼印になったのかなと。
でもそれは愛を受けれなかったとかそういう方面じゃなく、「呪われていい人間だ」という曲がった理解を、完全に「やっぱり俺は正しかった」という自己正当化を確固たる理念にしてしまったんじゃないかと思う。
幸次郎、「頭のおかしくなった母親を疎ましかった、自分と同じように」って言ってるけど、もしかしてトメさんの事じゃなく、本当に自分の母親のこと言ってんじゃないの?と思った。
だったら「欠けた人間」も幸次郎は「「自分と同じように欠けている」倅」と言った可能性もある。
だけど同じ父から生まれた勇作さんは、「高潔な人物」だ。
自分と勇作さんが同じように「祝福されて」生まれたとしたら、じゃあ何が違うのか、という話になったら、それは、悲しいけれど、母親の、違いという事になってしまう・・・。
これは、公共のSNSで話していい話題なのか迷うデリケートな範囲の話だ。トメさんはああいう人で、勇作さん母はそういう人だった、という事になってしまう。
元々は幸次郎が悪いという話は変わらないと思うんだけれど、もし、もしもよ、尾形自身が、自分がこうである原因がお母さんだったと思ってしまったら、それは、もう、生きられない、よね・・。
トメさんを殺してしまった理由が、「疎ましかった」なら、むしろまだ救われたのかもしれない。
尾形少年の心理は独特ではある。でも、そういう考えも無しとは言えないからまた、複雑な思いだ。
思った事を備忘録的に書き散らしております・・