BANを受けたのが多分15日土曜日で、不具合かな?と思って16日夜までは若干控えたものの、呟きは続けていた。
昨日の朝のマーキング投稿?をラストに、ツイッターへの書き込みはしていない。
ちょっと話は違うけど、ネットサービスっていつどうなるか正直、分からない。突然使えなくなることもある。
もし利用していたサービスが終了して、データ消滅まで行くとする。
アップしたデータそのものは、みんな手元に残っている。
けど、見てくださった皆様や、その記録まで保管している人はそういないだろう。
そして何より、書き上げた日、人の目に晒す覚悟を決めた日の、自分自身の感動を忘れたくはない。
サービスが消えたら、その一つ一つの思いはどこへ行けばいいのだろう。
今どきのサポートはどこもしっかりしてるから、そこまでの被害は少ないかもしれない。
だけど書いた小説の製本を急いだ自分の根底に、な〜んかそういうのが、ある気がする。
いつ明けるとも分からないし、いっそ明かないものとして精進するのもアリかも。と、思うようになった。
投稿自体は自由だ。
ただ両刃の刃というか皮肉な事に、場が自由であればあるほど、厳格なルールが必要になる。
人目を憚る物については、逆に気をつけねばならない事も増えている。
個人で基準も曖昧だったが、その辺がとうとう厳格化されたんだろう。
投稿できない(しても誰も見ない)この時期は、自分を見つめ直すいい機会かもしれない。
と思って、ちょー久しぶりに静物画を描いた(爆)
そこでも一回一回、現代の進歩?に驚く。
いきなり静物画なんて言ったって、以前は部屋にあるものか、自分の手足くらいしかモチーフは無かった。
しかし今はどうだ…お林檎一つにしたって、溢れるほどの情報がタダで得られ、手元にリンゴが無くても、リアルリンゴは描ける。
しかもそれが、多分当たり前になってると思う(もう、いちいち驚くことでもない)。
ありがたく、情報を使っています。
思えば関カム小説だって、ネットで情報を拾いながら描いた。
野球のルールも制度の歴史も、ドレスも高級ホテルも、四十八手も(汗)、みんな都度都度調べて書いた。
今だからできたことが、一杯あった。
googleドライブには、自作の絵や文がお守り代わりに保管され、私と一緒に出歩いている。
100均で手に入る白い紙が使いやすくて重宝していたが、売り切れ終売なんだらしい。
鉛筆への馴染みがちょうど良かったのに、別の紙を探さなくちゃならない。
こういうのも、今はすぐ無くなる。
スキキライは、値段やブランドじゃないとこが悩ましいところだ。